鬼むぅブログ(転生 Ver.1.02)

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アナと雪の女王を物語構成から考えてみた

こんにちは、鬼むぅです。 アナと雪の女王 | ディズニー映画見てきました。

いかにも王女様の住んでいそうなお城
運命に引き裂かれた王家の美しい姉妹、エルサとアナ──触れるものを凍らせる“禁断の力”を持つ姉エルサは、妹アナを傷つけることを恐れ、幼い頃から自分の世界に閉じこもって暮らしていた。 美しく成長したエルサは新女王として戴冠式に臨むが、力を制御できずに真夏の王国を冬に変えてしまう。 城から逃亡した彼女は、生まれて初めて禁断の力を思うがまま解き放ち、雪と氷を自由自在に操り、冬の王国を作り出す。 愛する者を守るため本当の自分を隠して生きてきたエルサは、“雪の女王”となることで生きる喜びと自由を手に入れたのだ。 一方、妹を守るために姉が払ってきた犠牲と愛の深さを知ったアナは、エルサと王国を救うため、山男のクリストフとその相棒のトナカイのスヴェン、“夏に憧れる雪だるま”のオラフと共に雪山の奥深くへと旅に出る。 アナの思いは凍った心をとかし、凍った世界を救うことができるのか?そして、すべての鍵を握る“真実の愛”とは…?

最近、クライアントワークでディズニー映画を立て続けに見たのですが、ディズニー映画は本当にストーリーの構成が素晴らしい。たとえばリトルマーメイドとかとも基本的な構成は一緒なのですが、常に新しさを感じるんですよね……。 Wヒロインということでキャラの対比が特に優れていたということで、絵の部分を重点的に、アナと雪の女王(吹き替え版)を見てみることにします。 まだ映画をご覧になっていない方は続きを読むのにご注意ください。あとうろ覚えなところもあるので、間違いがあるかもしれません。 ====

アナとエルサの服装

パーティの日でもまるで町娘みたいに軽やかなアン。

一方エルサは肩まで着込んで、いくら女王とは言え、かっちりしすぎのように見えます。

ダンスを申し込まれて断っていましたが、そもそもこの開いていないドレスでは踊れません。彼女は人付き合いを拒絶しているのです。

まとっている紫のドレスは王家の証でしょう。しかし、アンはそれをまとっていません。

ここではエルサは自分を偽っているんです。同時に、「人に本性を見破られてはならない」という決意や誇りを表現しているようにも見えます。 青と緑を基調にした地味な色のドレスじたい、目立たないように、目立たないようにと何かから身を守ろうとしているようにも見えます。寒い土地なのか? と思いましたが、周りは肩を出して、アンのようなドレスを着ているんですね。

寒がりにも見えましたが、そうではないことが後に分かります。 個人的にはこのマントは視覚的なメタファーとして重要に感じました。

紫のマントをまとうアナ

人々に魔法の力を見られて、高い山に逃げ込むエルサ。

それを追うアナ。

彼女は国を元通りにしなければという王家の娘たる決意、そしてエルサを連れ戻さなければという愛ゆえの使命があります。

国を吹雪が覆います。 ここでアナがまとうのは紫のマント。エルサが羽織っていた紫のマントそっくりです。

ここに彼女の決意や誇りがかいまみえます。

しかし、雪の中でこそ自分らしくいられると直感するエルサと反対に、アナは冬のブーツや服を着込まなければ雪の世界では生きていけません。

今や少し前のエルサのようにマントで体を覆わなければ自分を保てない存在なのです。ここでは完全に立場が逆転しています。

自由の代償

雪山に逃げ込んだエルサは今まで抑圧されていた秘密の力を解放し、美しい城を作り、美しいドレスを身にまといます。

女王と言うよりもこのいでたちは女神や妖精のようです。 彼女にとって、自分らしくいるということは、突き詰めれば人の世界を超越するものになるということなのです。

冒頭の抑圧された流れがあってこそのこのカタルシスはとんでもなく素晴らしい!

のですが、見ていたら涙が止まらないわけですよ!!

エルサが本当に人嫌いで山に引きこもっていた、というストーリーだったらここまで悲しくはならないでしょう。しかし、エルサは人を芯から拒絶しているわけでは無く、「自分は下界にはいられない、いては自分は心が死んでしまう」という(彼女なりの)真理を経て、追い込まれただけなんです。

なぜなら、あとでアンやクリストフ、果てはスパイまでやって来ますが、門には鍵がかけられてない。

出入り自由w

また、オルフというアナに幼い頃つくってあげた雪だるまを無意識につくったことからも、彼女は人との交わりを完全に断ってはいない(断ちたくない)ことがわかります。

後に雪の怪物も創り出します。そんなんよりまず門を閉ざせばいいんです。

しかし門は閉ざされない。彼女は訪れた人までを拒むことはない。ただ、傷つけられるのが怖い。その恐怖心こそが人を攻撃する魔法となってしまう。

つまり人を傷つけたくない、そして自分らしく生きたいという願いのために、人々を吹雪の中に閉ざし(自分が幸せになるためには人々は不幸にならなければならない)、自身は誰もやってこれないような山の氷の城に君臨するしか無い。

これが悲劇で無くてなんというのか。

自分らしく生きたいというあまりにも純粋な願いが比類ないほど美しく寂しい氷の城を築きます。このお城は彼女の精神状態を表現していますね。

兼ねてからLet it Goを映画館で幼児が歌うことがある、と知人の子どもから聞いていました。しかし、この流れで挿入されるこの曲、決して幼児が歌うような楽しく朗らかな歌ではないんですよね。

もちろん、心の解放も非常に重要なファクターなので、とても感動的なシーン、胸がすっきりするシーンではあるのですが。

(英詞を見たら、そっちのほうがニュアンスとしてはあっていました)

このシーンは本当にとても考えさせられる展開でした。

誰でも自分らしく生きたいと思うことくらいあるんですが、結局自由の代償に、美しい城で美しいまま、ひとり孤独に生きねばならないことが示唆されます。

しかも、彼女は女王であることを放棄していますから、その責任を取らなければなりません。=これが最愛の妹の死であったり、冬の続く王国の破滅を意味する。

結局、どんなに望んでも人が一人だけで生きることは不可能なんですね……。

会ったその日に結婚なんて!

この流れは実におとぎ話らしい。トロールの歌よかった。

ハンス王子ではなくて、山男のクリストフが王子様

Wヒロインも重要なんですが、ふたりの王子様(ハンス王子とクリストフ)の対比もとても面白かった!

ハンス王子は13番目の王位継承権を持つ王子ですが、一応は王子ですから、王女アナに求婚する資格があります。(しかし途中でまったく出て来なくなったので、まさかクリストフがヒーローなのか!とビックリしましたが)

で、クリストフは、ディズニーお得意のダメンズなので終盤になるまでアナの王子様だということがわかりにくくなっています。←ダメンズという点ではハンス王子もすごくそれらしくつくってあったんですが……。

実際山男と王女だと、普通に考えたら釣り合いは取れません。しかも、王女のほうは婚約者がいるんです。

しかし、クリストフが王子になった瞬間がありました! 煙る王国を見て、トナカイにまたがった時です。彼はそれまで一度もトナカイには乗っていません。

氷売りのクリストフにとって、トナカイはそりをひく動物。

そりがなかったら、クリストフはトナカイと一緒に歩いています。

背中に乗れば楽なのにね。

彼とトナカイは生計を共にする、同格の仲間、商売道具でもありますから大切にしています。

またがった瞬間、順列が決まりますから、それまで「山男」の彼にはトナカイに乗る資格がないんです。

しかし、アナが危ない! そう思った瞬間、トナカイにまたがってアナを救うために、猛然と駆け出します。愛を自分の中に見いだして、本当の騎士(ナイト)になったんですね。 タロットカードでもそうですが、乗馬している勇ましい若者が騎士の証です。

もちろん、彼は本来、正統な騎士ではありません。だから乗っているものもトナカイなんです。しかし、アナも王女らしくない王女ですから、お似合いのふたりということでしょう。ふたりは最初から最後まで(途中挫けそうになったりもしたけど)冬の厳しさに抗い、自分らしく生きようとします。

そういった姿勢が結果的にエルサの凍った心を溶かすことになるのですが、皆が他人を思いやることこそが愛なのだと謳う、クライマックスからエンディングの流れはさすがディズニーと言える終わりで、本当に大満足でした!!

最後に、映画を見終わった後に買ってしまったサントラ。