鬼むぅブログ(転生 Ver.1.02)

感じたことを時々綴ってます

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今夜も多分、時の神殿に行く

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その神殿の存在に気付いたのは祖母が亡くなってしばらくのことでした。 私はもともとイメージ力が強く、突然脳に絵が克明に浮かぶことがあります。夜、祖母のことを考えると、神殿が出てくるんですね。砂漠の片隅の高い岩山。さらにその奥にひっそりと建った神殿。

その神殿に入ると、自分は6歳くらいの子供に戻ってるんです。不思議ですね。

神殿で亡くなった人に会えるとかそういうのではなくてそこは過去を見る場所です。10畳くらいの広間に砂岩で作られたような硬い床の上に赤い絨毯が広がっています。子供の私はそこに座って、シーツみたいな布を張って、映写機が映し出す映像を見ています。その映像は過去の記憶で、映画を見るように見るのです。好きな映像を選べます。でもそのフィルムも思ったほど数が多くありません。同じ記憶を繰り返し見ているんですよね。自分が10歳とかそこらの、本当に些細な、こんなの覚えてたんだっていうような記憶を。

自分で考えても変なんですよね。 記憶なんだからそのまま見ればいいのにわざわざ神殿に入って映写機に映された映像を見なきゃいけない。 しかも、自分のことを子供だと認識しているくらいだから、より神視点ですよ。映像を見る子供を背後から見ている自分は何なんだっていう。

終わるとシーツは上がり、祭壇らしき中央に祖母の写真が飾られているのが見えます。これは実際のリビングにもある写真です。神殿から外に出ると、一面の砂漠が広がっている。頭上には月が。

祖母は小学校の教師をしていて歌が上手でした。よく童謡を歌っていました。「月の砂漠」の歌を聞きながら、見たことのない砂漠を想像したものです。だからこの神殿は砂漠にあるのかもしれない。だってここはおそらく祭壇ですから。心の中の祭壇。自分だけの祭壇。

もっと写真や動画を撮ってれば良かったなーって思います。動画が携帯で取れるようになったのは最近のことなんだと今更ながら思い知らされます。あまり自分の記憶のフィルムの在庫がありません。たくさん思い出があったはずなのに。それをアーカイブ(フィルム化)する作業もそこで行っている気がします。いつまでも覚えていたい。ですが、記憶も神殿も間違いなく風化していきます。いつかこの神殿に来なくなる日がくるのでしょうか。それはまだわかりません。