自分たちの子供のころはどうだった?胸に刺さらせる『聲の形』全7巻
- 作者: 大今良時
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/01/17
- メディア: Kindle版
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「このマンガがすごい!2015」オトコ編第1位受賞作を読みました。
それで、ふっと昔のことを思い出したのですが……小学3年生くらいの頃、外国人の男の子が転入してきました。
正確には外国人ではなくて、生まれ育ちがアメリカだったというだけだろう。
だろう、というのは、ほとんど覚えていないから。
ただ彼は、英語しかしゃべれませんでした。
なぜか彼は私の隣の席にされて、彼のお世話をすることになったんですが、授業の際にあれこれ聞かれもするし、教科書を貸さなきゃいけない。
おまけに彼は特に算数が1学年くらい遅れていた。正直日本語ができても、授業についていけないのではないかと思えるほど全然できず、担任から教えてあげなさいと言われて、私が横で教えるようになっていた。
すごく手間だし、何よりジェスチャーしながらコミュニケーションしなければいけないのが手間で、なんでもないことをいつも訊かれるのが手間で、何かというと、イライラさせられる相手でした。
彼のことを扱いかねる雰囲気がクラスにもあったかもしれない。
とにかく、彼のことはもうほとんど覚えていないのに、イライラしていたことははっきり覚えている。というのは我ながら酷なのですが、このあとに後悔したからこそ、今でも覚えている気持ちなのかもしれない。
そうこうしているうちに、長い休みに入り、それが明けると、彼はいなかった。
転校した。再びアメリカに戻ってしまったのだ。
もともと日本にいるのは短い間だけだったそう。
それも聞かされていたらしいのですが、すっかり忘れていて、そのことを新学期が始まって聞かされ(お別れ会のようなことをしたかもしれないけど、それすら今となっては覚えていない)、その時に初めて、「私は彼に十分に報いたんだろうか?」と胸が痛んだ。しかも、彼の母親は「すごくお世話になった」と喜んでいたらしい。
「私はそんなに喜ぶほどのことをしたのか?」と問うと、なぜか罪悪感が生じる。
「そもそもそれは本心で喜んでいるのか?」
「すぐに帰国するなら、そもそも余計なお世話をしたのでは?」 その気持ちを20年以上も持ち続けていて、小学生のグループのごたごたとか、いじめの話題を見ると、ふっとこのこのことを思い出すんですね。
「あの時こうしていたら」そんな気持ちが胸を串刺しにする漫画
こういう思い出って、大なり小なり誰でもあるんじゃないかと思うんですが、『聲の形』は、そこをピンポイントでぐいぐい突いてきます。
全7巻。一気読みするにはちょうどいい巻数です。
あらすじは以下の通り。ここだけ読むと、「聴覚の障害に対するいじめ」がテーマのように思えるのですが……
将也のクラスに転校してきた硝子は聴覚障害者であり、自己紹介でノートの筆談を通じて皆んなと仲良くなる事を希望する。しかし、硝子の障害が原因で授業が止まる事が多く、同級生達はストレスを感じる一方になっていた。そして合唱コンクールで入賞を逃したことを切っ掛けに将也を始めとするクラスメイトたちは硝子をいじめの標的とするようになり、補聴器を取り上げて紛失させたり、筆談ノートを池に捨てるなどエスカレートしていった。
度重なる硝子の補聴器紛失事件を機に、彼女の母親の通報によって校長同伴による学級会が行われるが、担任の竹内はいじめの中心人物であった将也のせいだと、威圧的に追求。それに賛同する形でクラスメイト達も次々と将也のせいだと主張し始め、自分達も硝子に散々な仕打ちを行っていたにも拘らず、彼らは皆自己保身の為だけに暗黙の団結を結んで、全ての罪を将也一人になすり付けようとしたのだ。これが、あまりにも信じられない光景に愕然とする将也が、硝子に代わる新たないじめの標的となる日々の始まりだった。
ツールとしての聴覚の障害やいじめは存在するけれども、通しで読んでいくと、明らかにこれはテーマではなく、本来のテーマは、「コミュニケーションの難しさ」を描いているのではないか。
かつて硝子とクラスメイトのコミュニケーションが難しかったのはなぜか
硝子は、聴覚に障害があり、ノートを通じてしか対話できません。空気を読むことも難しい。
合唱コンクールで口パクしていればいいと将也に言われても、下手な歌を歌って、クラスメイトの反感を買う。
そんな調子で、クラスメイトとの間に軋轢を生んでいきます。
将也の硝子に対するいじめや、クラスメイト達の将也に対するいじめは、まるまる1巻を通じて読者がいじめる側の心理に共感できるように、丁寧に描かれています。
硝子は、いつも笑っていて本心を見せないし、空気も読めない。誤解されても反論しない。そこに、反発が生まれていく。読者も、クラスメイトも、硝子に対して共感がしにくい。「かわいそう」「支えてあげなきゃ」「仲間に入れてあげなきゃ」そういう強制力が働く存在。
でも、そんな一方的なバランスの関係は本当の友達、仲間ではないわけで……。
硝子も、将也(石田)も、将也のかつても友達も、みんな過去に葛藤する。
ちなみに、硝子が原因か、硝子が悪いのかというと、すごく難しい。
小学校時代の硝子はそうやってにこにこすることで、今までをやり過ごしてきた過去があり、そこさえ装ってさえいれば、なんとなくやり過ごせることを肌でわかっていた。そういう生活を送ってきていた、というのがあります。これが小学校時代の彼女の人生観になっているんですね。
それを、将也たちは、「自分たちと対話していない」と見なしたわけです。
価値観の相違、とでもいうのか。
障害のあるなしにかかわらず、この価値観の相違って、結構いじめの原因になりやすいと思います。
極端な話、毎日フォアグラ食べてパーティしているような生活レベルの人間と、1日海に出ているような漁師だと、打ち解けるには時間がかかります。
社会人であれば、「あいつとは話が合わないから親しくしないでおこう」と距離をとっておくこともできる。でも、本来さまざまな価値観をもって生活しているはずの小学生は、クラス、という概念でひとくくりに同質化されていて、明らかに異質なものを排除しようと力が働く。
葛藤とキャラクターの立ち位置
でも、それから10年たって、皆は10年前の自分に立ち返って、葛藤する。
そこで、いじめをやった自分がすべて悪いとは全否定していない。
彼らには彼らの言い分があって、いじめはしたかもしれないけど、とそこを認めたうえで、自分の人生の目標を決めていこう、生きていこうと希望を抱かせられる。
そのあたりの立ち位置はエンディングに向けて最初から考えられていたようで、小学生の頃の展開からバランスよくキャラクターが配置されている。
自己肯定感が薄い将也(石田)と硝子はある意味お似合いなのか? 似たもの同士だけど、カップルとしてはかなりもどかしい。
最初は硝子と将也がくっつくのかなあと思っていたけれど、安直な展開にはならず。
植野は男性にとにかく人気出そうですが、実際はどうなんでしょう。川井の調子良さとか、私は結構好きです。
女の子もみんなかわいいし、文句なしの漫画でした。
- 作者: 大今良時
- 出版社/メーカー: 講談社
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