「人間椅子」春陽堂の江戸川乱歩文庫のパッケージ力には痺れるしかない
先日男遊郭のイベントにお邪魔した際に、空き時間で文豪ストレイドッグスの1巻を読ませてもらいました。
羅生門という言葉の響きは、確かに強そう。
その中に、江戸川乱歩もいるらしい。
じゃあ何だ、人間椅子かと話してたら「超推理」だったというオチ。
言葉の響きだけでいうと、超推理よりも人間椅子のほうが余程まがまがしいのですが、「人間椅子」のお話を覚えていなかった。多分読んだことはあると思います。
ちょうど表紙買いしたものが家にあったので、再読してみると……。
実際のところは、星新一先生のようなショートショートで、淡々としながらやたら色気のある文体。あくまで私感ですが、収録されている短編は、グロテスクというよりも、どちらかというとシュールで、人間の悲哀が感じられるものばかりです。
完全に「人間椅子」という響きにやられてしまっていたのです……。
江戸川乱歩先生のネーミングセンスはハンパない
江戸川乱歩先生といえば、「陰獣」「人間椅子」、どれも生々しく、グロテスクな想像を掻き起こすタイトルばかりですが、この素晴らしいネーミングこそが、江戸川乱歩先生の短編の本懐のように感じます。
そして今回、是非ご覧になっていただきたいのが、没後50年を記念した新装版になり登場した、多賀新さんの装画です。
もともと表紙買いをするきっかけがこの表紙でした。
江戸川乱歩先生とどういう関わりがあっての表紙抜擢なのかわかりませんが、この表紙の発するエネルギーには痺れます。
M字開脚している女性がグロテスクな性器を晒している。
表表紙だけだとよくわかりませんが、裏表紙の全景イラストには、腕が変形して、男性になりつつある様子も描かれています。その男性もまた頭が性器……どういう世界観なんだか、頭を抱えたくなってしまいます。
「人間椅子」その言葉の響きから想像するグロテスクなものが描かれている装画
本編の内容のみで考えると、この装画がベストマッチかと言われると疑問です。
抽象的なモチーフである事を差し引いても、この絵は内容を表現しているとは言いがたい。しかし、この人間椅子というタイトルのおぞましさ、まがまがしさで想像させるものをよく表現しているなと感心させられます。
そういう意味では、この小説のプロデュース力には脱帽です。
今書籍が売れなくなってきている、という話をあちこちで耳にします。
実際編集の方、出版社の方もいろいろな切り口で新たな販売チャネルを見いだそうとされてると思いますが、私はヘタに人間椅子を読み込んだ専門課が本編そのままの商品にするよりも、江戸川乱歩のイメージ、人間椅子というイメージ、そしてそれに期待する読者の期待を裏切らないパッケージを提供するというのがとても面白いなと思います。