「好きなものに囲まれて働きたい」を志望動機にする3つのリスク
ひつじぐもの採用においていうと、書類選考(エントリー)通過倍率は30倍を超えています。
私自身が一番見ているのは志望動機とかの文章なんですが、最近、何かのテンプレートのように「好きなものに囲まれて働きたい」と書いてあり、最初は何かのイタズラかとビビりました。
まさかどこかに理想の文例として書いてあるのだろうかとググッてみると……
http://ikejo.net/shop-baito-siboudouki-9465#6ikejo.net
本当にありました。
6.自分の好きな物に囲まれて働きたい
洋服が好き、などショップ店員になることで、自分の好きな物に囲まれて働くことができます。
また新しい商品を一番に見ることができるのもショップ店員です。
そのため「自分の好きな物に囲まれて働くのが夢だった」という志望動機もオススメです。
またアルバイト経験がまったくなかったり、ショップ店員として未経験であったりしても、しっかりした志望動機として面接で使うことができます。
雇う人も、一緒に働く人も、好きな商品に囲まれて、笑顔で明るく働いてくれる、バイトメンバーを待っているのです。
しっかり自分の好きな気持ちを伝えるようにしましょう。
確かに小売りをするショップに採用されたならば、そしてそのショップが好きなものばかりを取り扱っているならば、好きなものに囲まれて仕事をすることは、想像に難くない。
しかしそれをメーカーに伝えるとなると、ひつじぐもだけではなく、想定とは違うように受け取られそうですが……。
「応募した会社の商品≠好きなもの」と受け止められかねない
実際問題として大きいのはこれ。
つまるところ好きなものの定義です。
アニメ、ゲーム、シチュエーションCD。
市場にはいろいろありますが、「好きなものに囲まれる」べくメーカーに応募するということはすなわち「好きなもの=既存のメーカーの製品」でないとおかしいのではないか。
しかし、ひつじぐもだけでなく、他メーカーの話を聞いていても、どうもそうではないことが多い。
よくてそのメーカーの商品も含めた雑多なあれやこれ、のような?
好きなものを取り扱っている企業といっても、販社、メーカー、小売り、スマートフォン用アプリのパブリッシャーなど様々に存在している中で、ざっくり好きなものに囲まれたい、というのは「そうだよね、だからこの会社なんだよね」とはなりにくい。
自分が製作したものなら好きになるだろうから、将来的には好きなものに囲まれることになるということなんだろうか。
それとも業界に入るとっかかりにしたい?
とにかく何でもいいからCDを製作している会社に入社したいのであれば貪欲にそのくらい書いたほうがよほどPRになりそうです。
実際好きなものに囲まれているのだろうか
上記はクリアして、幸運にも(?)「メーカーの商品=好きなもの」だった場合。
それだけで企業からの好感度はかなり高い。
にもかかわらず、このふんわりした志望動機が仇になることも考えられます。
たとえばひつじぐものオフィスは整理整頓を大事にしているので、ゲームクリエイターという職種でイメージされる「机の上にフィギュアを飾っている人」「机の下に寝袋常備(これはきっと少なくなってるはずですが……)」みたいなのはいません。(これを好きなものに囲まれてる状態といってイメージする私の想像力もどうかと思いますが)
となると、好きなものに囲まれたいと志望動機に書いたばかりに、
(うちの商品に囲まれる生活が重要な人なんだな。でもあまり囲まれるような仕事を提供できないからいちファンでいてもらおう……)
となりやすいのではないだろうか。
小売店舗ならともかく、一般非公開のオフィスを「好きなものに囲まれている」と定義してしまうと、「そもそもそれは違うな」というリスクが発生しやすいような気がします。
そもそもみんな好きだから……
好きなのは当たり前なので(というか好きでないと志望しない)、「好きだから」を志望動機にされても決め手になりにくい。
好きと働くは明確に違う
じゃあ実際にどういう人が働いているのだろう?
周囲では、
「全然知らない世界だったが面接してもらって受かった」
「いろいろやろうとしたが、結局この仕事しかできなかった(この仕事が一番評価されている)」
「自分探しの果てにたどり着いた」
みたいな例が多い。
彼女たちは、親戚から「好きなことを仕事にできて羨ましい」と言われる体験が往々にしてあって、しかし皮肉にもそう言われる人はたいていグロ系とかをやりたがっていて、実際のところやりたいことは仕事にできてなかったりするんですが、なんとなく外からは「好きなことして、自由に生きて、キラキラして見える」。
好きなことを仕事にすることそれじたいに罪はなくて、素晴らしいこと。
だけれども、好きなだけであれば、メーカーの人間は「ずっと好きでいてほしい」と思ってしまうものなのです。
好きなことと働くことは明確に違う。
そこをあえて紐付けようとするのなら、好きなことは動機でいいので、それに関わる仕事がしたいがために、いったいどんな努力をしたのか。これからどういう働き方をイメージしているかを文章で伝えることが重要です。
ひつじぐもはシナリオライターが多い会社ですが、シナリオライターで採用されずとも、メーカーに採用されるとなれば、広報をやったり営業をしたり、文章で人を動かすことをやっていかないといけない。
好きなものに囲まれたいのか、それとも、どうしてもこの業界で仕事がしたいか、しかしなんでもいいので、これまでの実際の自分を自分の文章でアピールするのが一番ですね。
ノベルゲームらしいノベルゲームはこれからインディーズが実現するようになるのだろうか?「ファタモルガーナの館」
2日間、寝る間も惜しんでプレイしました。
期待以上の傑作です。サークル「ノベクタクル」の放つノベルゲーム「ファタモルガーナの館」。
「かまいたちの夜」や「428 ~封鎖された渋谷で~」のような読み応えのあるノベルゲームを発作的にやりたくて、いろいろ調べた結果、ちょうどDLsite.comでダウンロード販売されていて、すぐにプレイできそうだったので購入。
もともと2012年末に同人ゲームとしてリリース。
その後活動の幅を広げ、弊社の取引先のでもあるHOBIBOX様で商業流通されていた記憶があり、前々から気になっていたのも決め手でした。
↑こちらもすごくオススメです。
オーソドックスなビジュアルノベルで、選択肢によってエンディングが分岐していきます。
呪われた館で目覚めた「あなた」は、自分自身を失っていた。
記憶はおろか、生きているのかどうかも分からない。
そんな「あなた」を、館の主だと告げて慕う女中がいる。
彼女に導かれて、館の様々な時代で起きた悲劇を「あなた」は目撃していく。
(c)Novectacle
というあらすじ通り、ミステリアスな女中に手を引かれて、様々な扉を開けて、屋敷の過去を「見て」いきます。
それぞれの屋敷の過去は美しくて、もの悲しい。童話の世界のよう。
一番目の扉では、兄を王子様と慕う貴族の少女が、その恋心の逸るままに、兄と白髪の娘を陥れる。
(c)Novectacle
二番目の扉では、獣と呼ばれ迫害された青年が、平穏を望む半面、自身の凶暴性を抑えられなくなり、最後には恋人すらも惨殺してしまう。
(c)Novectacle
三番目の扉では、白髪の娘を愛しすぎたばかりに、彼女を幽閉してしまい、最後に彼女を失った青年実業家。
(c)Novectacle
いずれの扉の先でも、白髪の娘が現れ、悲劇に巻き込まれてゆく。
毎年夏にテレビが幾度となく放映するちょっと怖い怪談話のようなオムニバス。
実際のところ、みっつめの扉を開けて戻った時点で、「ああ、もうそろそろ転かな、終わりかな」と思っていたのです。
が、その三番目の扉の後から物語が急転していき、転だと思っていたものは、「起」の「転」だったのか! とかなり焦りました。
四番目の扉のあたりで、一度検索し直して、総プレイ時間を確認。シナリオ量4M……!
4Mって、いまいち実感しづらいですが、2,000,000文字です。文庫本でいうと、6~7冊にあたります。
これをスラスラと読ませるわけですから、このシナリオ力(?)の高さがおわかりいただけるかと思います……。
オムニバスだなと思っていたものは、まさしく序章だったのです。
数時間でプレイし終えるだろう……と思っていたので、一旦ここで中止して、翌日プレイを再開。
それからは、綺麗に伏線や謎が収束していって、確かに上質のミステリーでした。
一言で言うと、輪廻転生のお話なんですが、罪があり、悲劇があり、成長があり、そして赦しがある。
素晴らしいタイトルでした。
ミステリー系の映画や小説がお好きな方には是非おすすめしたい。
退廃的な雰囲気も魅力的です。
最近の商業ゲームでは、選択肢だけのノベルゲームでも(もはや選択肢だけというのも珍しくなってはきていますが)、目パチしたり口パクしたり、ボイスが付いたりとリッチな表現が標準になってきている感があります。
文章と、最低限のビジュアル(絵)と、音楽で楽しませるという、シンプルな表現は何にも勝るものなんですね。
リッチな表現をてんこもりにするのよりも、シンプルにすることは、正直勇気がいる。
でも、そうする事で、本当に読み物としての面白さを追求できている!
さて、特にアプリ市場におけるノベルゲーム(特に恋愛シミュレーションゲーム)はソーシャル機能が標準。
先を読むのにチケットを回復させて、ガチャを回して、アバターに課金して……と、ノベルそれ自体に集中できないスタイルが多くなっていますが、もっと根本的に面白くするには!?
……と、ここのところ、「ゲームの表現」についてずっと考えていたので、原点回帰という点でとても参考になりました。
厚塗りの絵は好みが別れそうですが、それで倦厭するのは本当に勿体ない。
ノベクタクルさん、これから追いかけていきたいです。
自主製作サークル - Novectacle ノベクタクル -
「ファタモルガーナの館」体験版もあります。
- 出版社/メーカー: Novectacle
- 発売日: 2013/01/25
- メディア: DVD-ROM
- この商品を含むブログを見る
なぜガソリンスタンドの店員は水抜き剤を説明できないのだろう
昨日、福岡から広島まで、高速で移動しました。
古賀SAはレストランエリアの前にプチイルミネーションスペースが設置されているけれども、人っ子ひとりおらず、もの寂しい……。
イルミネーションがなにげにキレイ。。 (@ 古賀SA (上り) in 古賀市, 福岡県) https://t.co/VGD31DmH9X pic.twitter.com/d0rJPSbJXC
— 島田類 (@onimu_jp) 2016, 1月 7
私は、免許は取りましたが、ここ数年ハンドルを握っていません。
運転手はかほくさん。夜、車を飛ばしながら、いろんな事をふたりで話します。過去には、ブレストする時、車に乗った事もありました。
ブレストというと、意見が強い人がすごく喋っていたり、均一にアイデアが出なかったりということがよく課題になりますが、「車に乗って目線を合わせずに喋る」手段は有効です。対面を避けるのがポイントで、バーカウンターとかでもいいんですが。もしブレストで悩んでいる担当者の方がいたら、一度意味もなく都市高速に乗ってみてください。オススメなので。
途中、サービスエリアのガソリンスタンドに寄ると、車の点検をしてくれます。
「燃料タンクのお水がなくなってたので、足しますね。1本850円です」
「そうですか。じゃあ入れてください」
かほくさんが不意に笑いだし、数年前、私は、
「それは普通の水なんですか? 普通の水なら、なぜ850円かかるのですか?」
と尋ね、店員さんが困っていたそうです。
全然覚えていない。
我ながら、面白い質問だなと思って、スマホの日記にメモしました。
レシートを見ると、水抜剤と書いてあったので、恐らくただの水ではない、のだろう。
↑今調べたら特に必要ないもののようです。次回から断ってもいいのかも……。
しかし、説明できないという事は、意外と自社のサービスや商品について、従事者といえど、知らないものかもしれない。
自社のサービスをわかりやすく説明するのって、実際は結構難しいですよね。
今度、この事について、話し合ってみようと思います。
自分たちの子供のころはどうだった?胸に刺さらせる『聲の形』全7巻
- 作者: 大今良時
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/01/17
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
「このマンガがすごい!2015」オトコ編第1位受賞作を読みました。
それで、ふっと昔のことを思い出したのですが……小学3年生くらいの頃、外国人の男の子が転入してきました。
正確には外国人ではなくて、生まれ育ちがアメリカだったというだけだろう。
だろう、というのは、ほとんど覚えていないから。
ただ彼は、英語しかしゃべれませんでした。
なぜか彼は私の隣の席にされて、彼のお世話をすることになったんですが、授業の際にあれこれ聞かれもするし、教科書を貸さなきゃいけない。
おまけに彼は特に算数が1学年くらい遅れていた。正直日本語ができても、授業についていけないのではないかと思えるほど全然できず、担任から教えてあげなさいと言われて、私が横で教えるようになっていた。
すごく手間だし、何よりジェスチャーしながらコミュニケーションしなければいけないのが手間で、なんでもないことをいつも訊かれるのが手間で、何かというと、イライラさせられる相手でした。
彼のことを扱いかねる雰囲気がクラスにもあったかもしれない。
とにかく、彼のことはもうほとんど覚えていないのに、イライラしていたことははっきり覚えている。というのは我ながら酷なのですが、このあとに後悔したからこそ、今でも覚えている気持ちなのかもしれない。
そうこうしているうちに、長い休みに入り、それが明けると、彼はいなかった。
転校した。再びアメリカに戻ってしまったのだ。
もともと日本にいるのは短い間だけだったそう。
それも聞かされていたらしいのですが、すっかり忘れていて、そのことを新学期が始まって聞かされ(お別れ会のようなことをしたかもしれないけど、それすら今となっては覚えていない)、その時に初めて、「私は彼に十分に報いたんだろうか?」と胸が痛んだ。しかも、彼の母親は「すごくお世話になった」と喜んでいたらしい。
「私はそんなに喜ぶほどのことをしたのか?」と問うと、なぜか罪悪感が生じる。
「そもそもそれは本心で喜んでいるのか?」
「すぐに帰国するなら、そもそも余計なお世話をしたのでは?」 その気持ちを20年以上も持ち続けていて、小学生のグループのごたごたとか、いじめの話題を見ると、ふっとこのこのことを思い出すんですね。
「あの時こうしていたら」そんな気持ちが胸を串刺しにする漫画
こういう思い出って、大なり小なり誰でもあるんじゃないかと思うんですが、『聲の形』は、そこをピンポイントでぐいぐい突いてきます。
全7巻。一気読みするにはちょうどいい巻数です。
あらすじは以下の通り。ここだけ読むと、「聴覚の障害に対するいじめ」がテーマのように思えるのですが……
将也のクラスに転校してきた硝子は聴覚障害者であり、自己紹介でノートの筆談を通じて皆んなと仲良くなる事を希望する。しかし、硝子の障害が原因で授業が止まる事が多く、同級生達はストレスを感じる一方になっていた。そして合唱コンクールで入賞を逃したことを切っ掛けに将也を始めとするクラスメイトたちは硝子をいじめの標的とするようになり、補聴器を取り上げて紛失させたり、筆談ノートを池に捨てるなどエスカレートしていった。
度重なる硝子の補聴器紛失事件を機に、彼女の母親の通報によって校長同伴による学級会が行われるが、担任の竹内はいじめの中心人物であった将也のせいだと、威圧的に追求。それに賛同する形でクラスメイト達も次々と将也のせいだと主張し始め、自分達も硝子に散々な仕打ちを行っていたにも拘らず、彼らは皆自己保身の為だけに暗黙の団結を結んで、全ての罪を将也一人になすり付けようとしたのだ。これが、あまりにも信じられない光景に愕然とする将也が、硝子に代わる新たないじめの標的となる日々の始まりだった。
ツールとしての聴覚の障害やいじめは存在するけれども、通しで読んでいくと、明らかにこれはテーマではなく、本来のテーマは、「コミュニケーションの難しさ」を描いているのではないか。
かつて硝子とクラスメイトのコミュニケーションが難しかったのはなぜか
硝子は、聴覚に障害があり、ノートを通じてしか対話できません。空気を読むことも難しい。
合唱コンクールで口パクしていればいいと将也に言われても、下手な歌を歌って、クラスメイトの反感を買う。
そんな調子で、クラスメイトとの間に軋轢を生んでいきます。
将也の硝子に対するいじめや、クラスメイト達の将也に対するいじめは、まるまる1巻を通じて読者がいじめる側の心理に共感できるように、丁寧に描かれています。
硝子は、いつも笑っていて本心を見せないし、空気も読めない。誤解されても反論しない。そこに、反発が生まれていく。読者も、クラスメイトも、硝子に対して共感がしにくい。「かわいそう」「支えてあげなきゃ」「仲間に入れてあげなきゃ」そういう強制力が働く存在。
でも、そんな一方的なバランスの関係は本当の友達、仲間ではないわけで……。
硝子も、将也(石田)も、将也のかつても友達も、みんな過去に葛藤する。
ちなみに、硝子が原因か、硝子が悪いのかというと、すごく難しい。
小学校時代の硝子はそうやってにこにこすることで、今までをやり過ごしてきた過去があり、そこさえ装ってさえいれば、なんとなくやり過ごせることを肌でわかっていた。そういう生活を送ってきていた、というのがあります。これが小学校時代の彼女の人生観になっているんですね。
それを、将也たちは、「自分たちと対話していない」と見なしたわけです。
価値観の相違、とでもいうのか。
障害のあるなしにかかわらず、この価値観の相違って、結構いじめの原因になりやすいと思います。
極端な話、毎日フォアグラ食べてパーティしているような生活レベルの人間と、1日海に出ているような漁師だと、打ち解けるには時間がかかります。
社会人であれば、「あいつとは話が合わないから親しくしないでおこう」と距離をとっておくこともできる。でも、本来さまざまな価値観をもって生活しているはずの小学生は、クラス、という概念でひとくくりに同質化されていて、明らかに異質なものを排除しようと力が働く。
葛藤とキャラクターの立ち位置
でも、それから10年たって、皆は10年前の自分に立ち返って、葛藤する。
そこで、いじめをやった自分がすべて悪いとは全否定していない。
彼らには彼らの言い分があって、いじめはしたかもしれないけど、とそこを認めたうえで、自分の人生の目標を決めていこう、生きていこうと希望を抱かせられる。
そのあたりの立ち位置はエンディングに向けて最初から考えられていたようで、小学生の頃の展開からバランスよくキャラクターが配置されている。
自己肯定感が薄い将也(石田)と硝子はある意味お似合いなのか? 似たもの同士だけど、カップルとしてはかなりもどかしい。
最初は硝子と将也がくっつくのかなあと思っていたけれど、安直な展開にはならず。
植野は男性にとにかく人気出そうですが、実際はどうなんでしょう。川井の調子良さとか、私は結構好きです。
女の子もみんなかわいいし、文句なしの漫画でした。
- 作者: 大今良時
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/01/17
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
2015年にやった一つ、バックオフィス業務の効率化
バックオフィス業務における課題
企業活動というのはつまり、営業活動です。
バックオフィス業務は直接的には利益を生みません(コスト削減はできますが)。営業活動をする際に目標が掲げられるとすれば、そこにはバックオフィス業務のコストがかかってきます。
現場で働く人が総務、事務や経理をする人のコストを背負っている。
となれば、これらのバックオフィス業務に期待するのは主に以下となります。
- 営業スタッフ(ひつじぐもではイラストレーターやシナリオライターを含みます)が仕事をする上で、彼らがより円滑に仕事をできるようにサポートする
- 売上をあげられない以上、コスト削減という目標を持ち、遂行していく
これらが円滑に回らなかった場合どうなるか?
管理のための管理業務を増やしたり、「仕事」ではなく「人」を管理するようになります。
というのを、2014年に思い知った私は、契約期間が満了したのを機に、バックオフィス業務の棚卸を始めました。
具体的に何をしたか?
まず、全てを自分でやってみることから開始しました。
商品管理はルーチンワークが多かったので、まずはこれらの業務フローを書き出し、マニュアル化していくことにしました。
ちょうどシステムを移行する予定だったため、この過程で販売・在庫管理システムも相当問い合わせやテストをして、今のシステムに落ち着いています。クラウドサービスなので、どこからでも商品リストや在庫数を確認することができます。
仕事の属人化を防ぐ
その中で一番気をつけたのが、仕事の属人化でした。
仕事の属人化は前年で懲りました。
以前は、資材がどこにあるかとか、商品がどこにあるかは特定のスタッフしか知り得ないことだったのです。
これは私が一度担当したことで、ある程度バックオフィス業務に関しては防げるようになっています。
「明日私が死んだら会社はどうなるんだろう」
とか、
「明日休みたいかもしれないのに自分しかできない仕事があったら行かなきゃいけない。それはいやだ」
よく考えます。だから、引き継げるように……。
商品管理を例にすると、何ヶ月かかけて、以下のようなマニュアルが完成しました。
01 作業標準書
02 取引先へ商品を送る時の手順書
03 別の倉庫から商品を発送する
04 <15日、月末>売掛・請求【買取販売の取引先】
05 <月初>売掛・請求【委託販売の取引先】
06 <月初>店舗毎の売掛・請求【委託販売の取引先】
...
この時の私が幸運だったのは、その時に入社した方がいたので、全部やらせてみたことでした。
最初は、見ているだけでいいと言って、本当に見るだけにさせました。後々、この見るだけというのがすごく役に立ったと本人は言っています。
簡単な納品については、
注文書を受け取る
↓
システムに入力
↓
納品書を出力する
↓
納品書を元にピッキング、発送
の、まさに、納品書を元にピッキング、発送から教えました。ちなみに←はさすがに私はできないので、別のスタッフが教えてました。
それができたら、システムの入力……というように、徐々にフローを増やしていきました。
その際も、いきなりマニュアルを参照してもらうのではなく、マニュアルとは別に、商品とは、販売とは、支払サイトとは、といった基本概念のわかるテキストを用意して、商品がどこからどこにいって最終的にお客様のもとに届くのかを教えてから。
今、私は1年くらい前のことを思い出しながら書いているのですが、結構気の長いことをやっていますね-!
当時は、教育担当が忙しく、「じゃあ私が面倒見るから大丈夫」と言って、鞄持ち的な立ち位置でお手伝いをしてもらい、といった偶然が重なりパワーアップできたようです。
つまづきがあった部分やわからない部分を見ながら、マニュアルを完成させていきました。
人を管理するフローをなくす
不要だったフローはすべてなくしました。
たとえばワークフローシステム。
そもそも私が担当になった時点で、決裁をルートを複雑化する意味がないと考えたのでチャットシステムやGitHub経由にしてもらい、ワークフローシステムは解約しました。(ただこれは、いずれ復活させようと思っていますが、いずれにせよ運用が重要なので、後回し)
「管理」コストを大幅に下げるのも目標のひとつ。
ですが単純に、人は管理業務よりもクリエイティブな業務に精を出すべきだと考えています。
仕事の評価、チェックは必要です。しかし、「人」の管理は不要です。
人を管理し始めると、利益を生まないにも関わらず、バックオフィス部門が力を持つことになります。それは道理としておかしいし、皆がしっかり仕事をしているならば、そもそも勤怠にしろ何にしろ、管理する、チェックする必要がないんですよね。管理を極度にせざるを得ない会社は空気が荒れます。人は居づらくなる……といいことがありません。
こういった意識は、採用についても大きな意味を持ちました。
信頼できない相手とは仕事をしない。
管理しないとパフォーマンスを出せない人とは仕事をしない。
こういう考えができたのは、個々の目標と実績についてはチェックと評価をしているからかなと思います。異常値が見つけやすいので。
社内ニートを撲滅する
業務レベルに達しなくて、何もすることのない……という時に、とりあえず何かやることがあれば……という意味でも、バックオフィスはよいかなと。
何もできることがないというのは離職を早める一因になりえます。
誰がするのか?
目下、誰でも総務ができるようにしたいと思っています。
今、いろいろな業務がかなり細かくタスクとして割り振れるようになり、極端に言うと、シナリオライターが商品管理を、というのが可能になっています。
8時間ずっと絵を描く、シナリオを書くというのはきついので、気分転換にもなるようです。
バックオフィスが必要な時
今は、経理のマニュアルを作成中です。
郵便物の仕分けからなので、総務ともまたがるんですが、そもそも簿記の知識がなくても、
GoogleSpreadsheetに入力→定期的に経理担当者が会計システムにインポート
みたいな入力業務は誰にでもできるはず。
たまに、事務でいいから入社したい、というお声をよくいただくのですが、実際のところ、上記で回っているので、必要を感じていません。
私たちの本業とは何だろうか?
と考えた時に、将来的にはバックオフィスを全て外注してもいいのかなとは思います。
今は便利なクラウドサービスがたくさん出ているので、英文事務だったり法務だったり、これからはより専門性の高いスタッフが求められていくんでしょうね。
シナリオライターになる事を踏みとどまる不思議な本
昨日、お貸ししていた本が戻ってきました。
採用前に、業務未経験でシナリオを執筆したことのない方に、この本を読んでシナリオを書いてみて、と渡すようにしている本です。
総合科学出版
売り上げランキング: 145,728
今年の1月から未経験で入社して働いている新人の子がいるのですが、彼女は、これを読んで、無人島課題のシナリオを書いてきてくれました。
(というか募集もしてないのに、勝手に会社に原稿を送りつけられた)
「どうやって書いたの?」
「吉神あや先生のシナリオの本を読んで、書いてみました。立ち絵の表情指示挿入とかは最初入れていたんですが、必要ないような気がして途中から入れていません」
「それはすごい本だね。ちょっと持って来て見せて!」
というのが出会いで、結局ひつじぐもでも1冊購入しました。
彼女は今は立派に活躍しています。
実際のところ、私自身はあまり丁寧に目を通してはいないのですが、業界への入り口として優れた本なのだなと思っています。
シナリオを書く意味については、出来がどうこうというよりも、入社するとなればこちらも時間を使う以上、ある程度業務に対するイメージができていることが望ましく、それを無理なくやれるであろう。
という思惑があります。
実際、かなり具体的にシナリオライティングのフローが描かれており、この本を読んで、シナリオライターになることを踏みとどまった方が、知っているだけで数名。
文章を書くことに特別な才能はいらないと思うのですが、20歳を過ぎて、まったく何も書いた経験がない、ということは向いていないという可能性もあります。
なりたい人は、在学中だろうと、仕事をしながらだろうと、何かをやっている……ような気がします。
私は10年前、ある人にシナリオライターにしてもらったのですが、それまで同人小説を書いたり、当時大好きだった「鬼哭街」や「沙耶の唄」を抽出ツールを使ってシナリオを抽出して(褒められたことではありませんが)、シナリオを研究していました。
↑沙耶の唄はグロテスクな描写があるためか、アダルト版の販売のみ……。
結局、私のやりたかったことはシナリオじゃないんだというのが数年ののちにわかるのですが、それも一度シナリオライターになったからこそ自分を見つめ直せたこと。
秋は転職したくなる季節……なのかもしれません。いいご縁が私たちにありますように!
フリーランスのシナリオライターにとっての「持ちキャラ」が持つ意味
持ちキャラ、持ちタイトル
フリーランスのシナリオライターにとって、「ルートをもらう」というのは、憧れだそう。
フリーランス、とあえて書いたのは、意外と、内勤だとそれほど「ルート欲しい」って気持ちにならないのではないかと思ったから。
定期的な収入があり、フィードバックをもらえる環境で、いい仲間がいて満たされていると、そこまで「ルートをもらう」事を自己実現として考える事が少ないのかも。
ちなみに、「ルートをもらう」というのは、キャラルートを書くという事です。「ノベルゲームで」最近多いお仕事だと、100,000文字~150,000文字程度の、攻略キャラと女性主人公と恋愛シナリオを書く。という意味合いになってきます。
収入的な意味でも、このキャラルートを1本持つ事は大きいのですが、イベントシナリオでなく本編を任される、という事はメインライターのひとりとして認められたということで。
◯◯(キャラ名)ルートを書く、という事は、ちょっといやらしくも思える言い方をすると「私の持ちキャラは◯◯」と言える。
という事になります。タイトルのメインライターだと、持ちタイトル、と言ったりします。
フリーランスになった場合、案件を定着させるという意味で、持ちタイトル、持ちキャラを持てるようになる事を目標にするのですが、最終的にはお客様を自分に付かせる事ですね。
人間は基本的に、変化を望まない生き物なので、「この人がいい」となったら、継続的にその方に依頼をします。
つまり、突き詰めると、上手か、速いか、安いか、人付き合いがいいか。
それが難しい方は、エージェントに登録するしかありません。
ひつじぐもでもライターさんを募集していますが、外部パートナーの合格(採用)者は10人に1人くらいです。スピード感が重要なので、合格しても結局お願いできない事が結構あります。
1日10,000文字書けるかどうか。
応募の際にはこれくらいの数字をおっしゃってくる方が多いですが実際に執筆してみると難しい方が多いようです。
なんだかんだ〆切間際の修正が大変なので、慣れた案件で、これくらい書ければ、きっとクライアントも安心されると思います。